師匠曰く「元気があればなんでもできる」らしい。
そうかな?と思ったが、逆に「元気がないと何にもできない」と言われると、途端に納得できる。
「朝起きれない」「皿が洗えない」「積ん読の山」「郵便受けに溜まった各種公共料金支払いを見てみぬふり」「決断できない」「ギターの弦が張れない」「曲が作れない」
生活全般に渡る大小さまざまな問題。その原因は、性格とか、やる気や才能不足とか、そういう大袈裟なものではなかった。
全ての原因は「元気がないから。」シンプル!
元気がないと何にもできない。
逆に言えば、やりたいはずのことや、やった方が絶対いいとわかっているはずの事ができない状態の事を「元気がない」と定義できる。
定義があれば、自分が元気かどうか、自分でも客観的に判断できる。
あなたは元気ですか?僕はどうやら元気がなかったみたいです。
「元気」という言葉をずっと誤解していた。体育会系のハイテンションやポジティブシンキングを元気だと思っていたが、それは単なるカラ元気で、本当の元気とはもっと静かな現象らしい。
元気を水で例えるなら、満たされつづけて満杯になったコップから、音もなく水が溢れ出ているような状態。それが「本当に元気な状態」だという。確かに子供の頃はそうだったよな。。
一方、少ししか水の入っていないコップを、無理やり揺すったりするのが「カラ元気」
一時的にカサが増えたように見えるけど、逆にコップからこぼれて、結局は前より疲れちゃう。身につまされる。。
本当に元気な人は、コップからこぼれる分の元気を使って行動するから疲れないし、いつでも余裕がある。
そして元気が溢れている人は、どうせこぼれちゃう分だからこそ、他人に対しても気前良く元気を使える。
衝撃だ。「優しさ」も、性格の問題ではなく、元気の問題だったとは!!
そう言われて逆に気付いたのが、人間、自分の元気のコップが満たされていない時は、自分のエネルギーを、自分のコップを満たす行為にしか使えない、ということだ。
元気がない状態で他人と関わると、本人の意思とは関係なく、他人からエネルギーを奪うコミュニケーションになってしまう。
身に覚えがなくても、身近にいる不機嫌な人を思い浮かべれば納得できるはずだ。
他人から元気を奪う人は嫌われる。嫌われれば孤立が深まり、さらに元気がなくなっていく。
この誰も得をしない負のスパイラルの行き着く先を考えると、元気でいるように努めることは、社会で生きていく上での努力義務とすら思えてきた。
元気になりたい!どうすれば元気になれるのだろう?師匠のアドバイスは単純明快だった。
「寝ろ」
ハイ。寝ます。
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