天ぷらをあげてみた

油がうまい。最近は炒め物だけでなく、サラダに塩油をかけて食べたり、醤油や味噌に並ぶ調味料として食卓を彩っている。フライパンの焦げ付きを防ぐためやむなく最小限使うモノ、というこれまでの認識は完全に改まった。

「少量で満足感を得られる油を使った料理」を考えるうちに、天ぷらに行き当たった。完全に盲点だった。当然天ぷらの存在は知ってはいたが、今まで自炊してきて、一回も意識に上がったことがなかったし、やったこともなかった。それなのに、難しい、めんどくさい、危険、油が体に悪い、不経済、などなど、ネガティブなイメージだけは何故かちゃんと先に頭に入っていることにも気付いた。少なくとも「油が体に悪い」はクリアしているし、その他のイメージも、やってみなきゃわからない。ちょうど手元にはじめて買ってみた綿実油200gがあったので、かき揚げに挑戦した。

果たしてあっけなくできた。
菜箸から出る泡で油の温度を確かめ、適量づつ揚げ、よーく油を切る。料理本通りにやったら、とりあえず形になった。改善の余地はいくつも見つかったが、何回かやれば普通にできるようになりそうな見通しはついた。油ハネなどもなく、片付けも特にめんどくさいとは思わなかった。200グラムの油でヨユーで揚がる。二回使えばコストパフォーマンスは想像以上に高い。
こう簡単にコトが進むと、じゃあ今までの揚げ物に対するネガティブな先入観はどこで拾ってきたのか?という疑問に行き着く。行動範囲を無駄に狭めている根拠のない先入観、これは天ぷらに限った話ではない。歌にしろギターにしろ畑にしろ料理にしろ、色々やってるようでいて、やってることは全部、この根拠のない先入観、すなわち「わかってるつもり」=「わかってないことがわかってない」=「無知」を撲滅する事にほかならない。

想像以上にあっけなかった天ぷらだが、味については一番搾り国産菜種油が断然いいことがわかった。初めて口にする綿実油、パッケージにしつこくない旨書いてあったが、そのまま舐めて美味しい油じゃないし、多く摂ると満足感もあるけど気持ち悪くもなる。やはり摂らないに越した事はない油のように感じた。違う油を使うことによって、いつもの油の美味しさを認識できた。

そんな綿実油の少々ベタついたかき揚げを食べていたら、そういえば小さい頃、スーパーのコロッケやメンチカツの油の臭いが苦手で食べられなかったナー、なんて事を30年ぶりに思い出した。ジロリアンになる前にはそんな繊細な内臓の持ち主だったのである。

最近、物事なんでも必要性がないと続かないと強く感じる。逆に言えるならば、続いてることには必要性がある事になる。では俺がジロリアンだった必要性とは、果してなんだったのだろうか。多分それは完全にジロリアンを卒業しないことにはわからないだろうし、それがわかった時が、完全に卒業した時になるのだろう。

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