朝、目覚まし時計を見たら、室内気温0.5度だった。かけ布団10枚くらいと、湯たんぽと電気毛布を併用しているので寝てる間は平気だが、布団から出るのが辛い。
俺のかわりに、南国生まれのさつまいもが寒さにやられた。新聞紙にくるんでダンボールに入れていたのだが、小さいのはほぼ全滅、中くらいのも表面がちぢみ腐っていた。でんぷんとして蓄えられた去年の五ヵ月分の日光。育ててみるとその貴さが実感としてわかるだけに、自分の不注意でダメにしてしまった悲しみは大きい。来年は小さいやつから食べつつ、どんどん干し芋に加工しようと思う。
朝、近所のスタバに避難して日の出を眺めるのが冬の定番になっている。開店7時に入店して東側の席でコーヒーを味わってると、ほどなく全面ガラス越しに、山から日が登るのが見える。山の稜線が明るくなってくるにつれて徐々に高まる期待感。そしてついに太陽が姿を見せた瞬間、世界が、一変する。何がどうとはいえないのだけど、明らかに、全てが、さっきとは違う。これを新しい一日のはじまりと呼ぶのかもしれない。
何回見てもこの奇跡のような一瞬に感動する。きっと人類はじまって以来変わらない感動なんだと思う。そんな俺の感動に関係なく、トラックやチャリ通学の中学生が、何事もないかのように、さっきと変わらず目の前の道路を行き来しているのを見ていると、ひょっとしてこの日の出は俺にしか見えてないのかしら、という錯覚に陥る。
まだ出たばかりのお日様を眺め続けていると、体内にどんどんエネルギーが満ちてくる。そして頭の中のおしゃべりの内容が、友達のミュージシャンの素晴らしい歌のことや、今後やりたいこと等、自ずと前向きな事ばかりになり、不思議とネガティブなアレコレは沈まることに気付いた。そして、些細なことが妙に幸せに感じられ、スタバのBGMにえらい感動している自分に気付いたりする。
生まれたばかりの太陽も、20分もすれば直視できなくなる。そして気付けばいつの間にか、いつもと変わらない朝になっている。日の出からの20分は、白菜で言えば一番芯の甘い若葉のような、一日のうちの一番美味しいところだと思う。元旦に限らず、日の出はいつ見てもいい。
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