深い眠り。健康にとってこんな大事なものはない。しかしそう何度も整体に通えない。なんとか自分で確実に眠りを深める工夫を考えた結果、 疲れる、という結論に落ち着いた。
市民プールで泳いできた。
子供の頃から泳ぎは苦手で、成人後25m泳げるようになったクロールも、200mも泳げばゼイゼイ息が切れる。
久々泳いでみて相変わらずの金づちだったが、せっかく来たので、なぜ泳げないのか自分の動きを観察して、無駄に入っている力を抜く、という、ギターと同じアプローチを行ってみた。
まず苦しいのは息ができないからだが、考えたら水の中でも息は吐けることに気付いた。「水の中では呼吸はできない」というのは半分嘘で、吸えないだけだ。このことに気付いて、心理的にもだいぶ楽になった。
呼吸に気づきながら泳ぐと、吐く息が止まっているポイントに気付いた。一定の呼気の持続を意識して泳ぎ出したら、だいぶ楽ちんになった。
息苦しさをヒントに無駄な力が入っている瞬間を探すと、息継ぎの後、体がバランスを崩して沈むことに気付いた。これを立て直すのに力を使い、結果くたびれるのだ。身体中にバランス崩す原因を探しながら泳ぎまくると、大きな原因は息継ぎするのと逆半身にあった。右で息継ぎする際、左の胸が広がるのだが、その胸がいつまでも広がっているせいでバランスを崩していた。息を継いで、左胸が広がりきったら即座に左胸の力を抜くようにしたら、大変スムーズに泳げるようになった。そしてその脱力がそのまま次の水かきに繋がる。クロール教わり25年、はじめて一連の動作に循環を感じた。泳ぐエネルギーが、体力から、理屈にシフトチェンジした瞬間だった。これならいくらでも泳げそうだし、泳ぐほど気持ちよくなりそう。
それにしても性分だなーと思う。理屈っぽい。何するにしろ、理屈がわからないとやる気にならないけど、実感を理屈として理解していくと、とたんに楽しくなる。というか実感を理屈として理解する事自体が楽しい。水泳も、15分で来たことを後悔したが、泳げない理由見つけていくうちに、気付けば疲れも忘れて泳ぎに夢中になっていた。
未知の事をやる理由でさえ、既知の事をやっても既知以上の何かにはならないから、という、既知の理屈が先行している。矛盾してるようだけど、実際そうやって生きているのだから、性分としか言えないのではなかろうか。自分についてそう思い至ったと同時に、皆が皆そーゆーやりかたで生きてるわけじゃないんだろうなーと、はじめて他人のことを思った。
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