凡人も達人と等しく潜在能力を使って生きている説

体の上手な使い方を知れば知るほど、体の潜在能力の計り知れなさを実感する。

上手な使い方を知った後になって過去の自分を思い返すと、あんな下手な体の使い方で今までよく生きてこれたな、くらいに感じる。それの繰り返し。

しかし、どんな下手な体の使い方でも、日々、とりあえずは生きてこれてしまった。この適応力、つじつまを合わせる力の高さこそ、まさに体の潜在能力のおかげかなのではと思うようになった。

つまり、今までも今までで、自分では気付かないうちに体の潜在能力を使って生きてきたのだ。

 

もし体の使い方がうまくなれば、つじつま合わせに潜在能力を費やす必要がなくなることになる。

もしかすると達人とは、凡人が辻褄を合わせのために使わざるをえない潜在能力を、顕在能力として、自分のやりたいことに使える人のことを指すのかもしれない。

 

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