野菜の育て方勉強する気になって、それ系の本を読み出すと、栽培法の多さに戸惑うことがある。
乱立する様々な流派は、互いに逆のことを言っていることもしばしばある。
この事実から読み取れることは何か?結局野菜なんて、どんなやり方でもそれなりには育つ、ということだ。
そんな舐めたスタンスではじめた我が菜園だが、実際、収穫を楽しめるほどには野菜は育っている。
育たなかったら育たなかったらで、来年はああしようこうしようと、意欲が湧いてくる。
つまりどっちに転んでも楽しい。
そもそも家庭菜園は商売ではないので、結果を出す必要はない。出た結果を楽しむ。
結果を他人と比較さえしなければ楽しさしかないのはボイトレと一緒だ。
サツマイモの株を増やしに畑に出かけた。
先月植えたサツマイモの伸びたつるを切って、それを地べたに刺す。それだけの働きで、秋には、夏の日差しが甘い澱粉に変わっている。これを奇跡と呼ばずに何が奇跡だろうか。自由にできる地べたがあるなら、やらない理由がない。
根付く前に干からびてしまうのを避けるために、長雨の前日を狙う。菜園をしていると天気予報を見るのが楽しくなる。
根付いてくれさえすれば、あとは勝手に育ってくれる。水やりも不要。肥料もいらない。というか土が肥えていると、葉っぱばかり茂って芋ができない。救荒作物と呼ばれる所以である。
救荒作物だから不味いかと言えば、そんなことは全然ない。ちなみに我が芋畑はベニハルカ一択。
栽培難易度や希少価値と、美味しさや栄養は、比例しない。野菜を育てると、自然界の働きと市場原理は無関係だということに気づく。ありふれたものに価値があることを実感できるようになることが、豊かになるということではなかろうか。
サツマイモの苗の植え方も、各流派があるようだ。切った苗をすぐ植える、という1番不精なやり方で試したが、とりあえず全部根付いた。成長点を切りおとして植えた苗も根付いた。結果は秋に出る。
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