すぐわかる知識、あとからわかる知識、わかった気にさせるだけの知識

知っただけで即結果が変わる知識のことを書いた。関節はこの方向に曲がる、などの、説明書的な知識だ。

ほとんどの知識は、知っただけでは意味がない。それはどんな意味なのか試行錯誤した末に「あぁ、これのことを言ってたのか」と、自分の中にそれを発見してはじめて意味をなす。

例えば「腹から声を出す」と教わったとする。
それに対して「声を出すのは口からだしw」とか言ってたら何も学べない。
かといって「なるほどわかった!」とか言ってマジックでお腹に口を描いて、それをパクパクさせながら歌うのも違う。
「腹から?どういうこと?」と疑問を感じた人だけが、試行錯誤の末に「これのことを言っていたのか!」と気づくことができる。

最初の人と2番目の人は一見真逆のようだが、現在自分が知っている知識で現在自分の知らない知識を理解しようとしている点で、結局どちらも同じだ。

そもそもわからないから学ぶはずなのに、すでに自分はわかってると思っている。「わかってるつもり」=「わかってないことがわかってない」である。

はじめに「わからない」という前提がなければ、わかることはできない。
しかし「わからない」という状態には不快感が伴う。そこに、わかった気にさせてくれる情報のニーズがある。

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