「わかる」とは「わからない」で浮き彫りになったものでしかない。
「わかる」と「わかったつもりになる」は全く違う。
「わかったつもり」になった瞬間に、「わかる」に至る道は途絶える。
「わかったつもり」=「わかってない事がわかってない」だ。
ではどうやって「わかった」と「わかったつもり」とを見分けるのか?
本当にわかったときには、確信が伴う。
何故ならその理解は、外から与えられたものではなく、自分の中からわき出たものだからだ。
砂糖をなめて甘いと感じるのと同じくらい、間違いようがない。
ボイトレをしていると、この「わかった」瞬間を何回も味わえる。
本当に「わかった」瞬間には、純粋な喜びが伴う。この喜びは絶対的だ。何故なら他人と比べて得た喜びではないから。
「将来に備えて今なにかをする」事を一切できない俺がボイトレを続けてこれたのも、この喜びを知っているからだ。
他人と比較さえしなければ、ボイトレには楽しさしかない。
レベルが1から2にアップするのも、101から102にアップするのも、同じだけの喜びがある。
逆に、他人と比較した瞬間にボイトレは地獄だ。
「できる」とは「できない」で浮き彫りになったものでしかないので、「できない」を理由にやらないのは、とてももったいないことだと思う。
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