今年も庭に、まいた覚えのないかぼちゃ、と思われる芽が出てきた。去年は堆肥の中に混入していた種から生えた鹿ヶ谷かぼちゃ(所沢産)が大豊作だった。今年は果たして、何か実るだろうか。
食べ物として以前に、存在として一番好きな野菜はかぼちゃかもしれない。とにかく生きようとする力が半端ない。
まいた覚えもないのに、去年の生ゴミの中から芽を出すかぼちゃ。
一雨毎にびっくりするくらいつるを伸ばし、我が物顔でとなりの畝に侵入し、木に絡んで天に登り、油断するとすぐ畑から脱出しようとするかぼちゃ。
一雨毎にびっくりするくらいつるを伸ばし、我が物顔でとなりの畝に侵入し、木に絡んで天に登り、油断するとすぐ畑から脱出しようとするかぼちゃ。
日当たりと水はけの良さ、そして広いスペースが必要なかぼちゃにとって絶好の場所は、昔から土手と相場が決まっている。
日当たりのよい土手でひとり、四方八方につるを広げ、惜しげもなく無邪気な花を咲かせまくり、真夏の日光を浴びて、人知れずぐんぐん実を充実させる。そして充実しすぎた挙句、割れて売り物にならなくなるという。そんな土手かぼちゃのことを思うたびに、親近感しかわかない。
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