久々にライブする

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ライブする理由がわからなくなってライブをやめてみた今、「なんでライブやるの?」と聞かれたら、「うるせー!わかんないからやるんだ」というのが、開き直っているようで、実は一番まっとうな答えになってると思うようになった。

「好きだから」じゃ答えになってないし、「楽しいから」にしても、明らかに楽しくないけどやっていた瞬間があったわけですよ。

わかんないから、やる。例えば、ライブしてりゃこそこはみんにも会えたわけだが、こはみんに会うためにライブ活動をはじめることはできないなわけですよ。

目的ありきのライブ活動なんて、それこそ目的地で写真撮るための旅みたいに味気ないと思う。旅の思い出って、思い返してみると、もれなく出発前には想像もできなかった出来事だ。

目的がないからこそ、過程全部が目的になる。ライブにしても、着いた場所が目的地、的なスタンスが一番面白い。

が、実際そーゆーいきかたをするのには、ものすごい勇気がいる。何故なら先に何の保証もないから。

どうなるかわからないからやる、という思考は、脳みそには理解できない。何故なら脳みそは過去のことしか知らないから。これまで俺は、自分の頭に浮かんだ思考を観察してみたが、どんな突拍子のないタイミングで、突拍子のないことが浮かんだとしても、どんなちっぽな事でもいいから、未来のこと、未知のことが浮かんできた試しは一度もない。

脳みそは、知ってることしか知らない。構造上、未知を恐れる。進めば進むほど、脳みそは、やめるべき理由を話しかけてくる。やってる理由を自分で理解できないくらいだから、他人に理解されるはずがない。孤独だ。

それでもなんでも、泣きながらでも、楽しさすら超えた未知の何かに賭けて、ライブし続ける。過去に逃げたり、架空の未来を信じたりすれば楽になるのに、未知だからこそ、未知に賭けて、血を吐きながらでも、今にとどまり続ける。ライブをやめた今、そーゆー人たちのことを、心底すごいなーと思うようになった。この人たちを突き動かす力がそれぞれ何なのかはわからないが、その勇気には尊敬しかわかない。

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