ライブのためにはじめたつもりのボイトレが、面白すぎて、気づけばボイトレ自体が目的になっている。
主な音楽活動が「自分で自分に発声法を教えること」になった自分にとって、コロナ禍は、全然音楽活動の支障にならなかった。
時代を先取りした音楽活動だったと、自分で自分を評価している。
以前は沢山いた同世代のライブ仲間も、気づけば多くが居なくなった。
逆に自分は何故未だにライブを続けているのか考えると、発声法の発表の場としてライブを利用している節がある。
「ライブのために」という目的を失ったボイトレが、ライブを続ける理由になっているのもおかしな話だ。
理由や目的があってやることって脆いなーと思う。何故なら、やる理由は、ひっくり返せばそのまま、やらない理由になるからだ。
例えば健康のために運動する人は、健康のためにならないと知ったら、運動をしなくなる。
そう考えると、理由もなく、ただやりたいからやることは、強い。やめる理由がない。結局長く続くことって、そういうことなのではないか。
追求し続けたい趣味を持っていることって、幸せなことなのかもしれないなー、と時々思うようになった。
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