発声のためにはじめたヨーガだが、いつのまにかヨーガ自体が目的となっている。しかし、それでも結局、ヨーガを続けていると、結果的に声が出るようになるのを実感している。
「ウディアナバンダ」を続けていたら、胸に息が通るようになった。逆にいうと、今まで胸がひどくつかえていたことにはじめて気づいた。慣用句「胸のつかえがとれる」の意味を体感した心持ちだ。完全につかえがとれたら、どんな心持ちになるにだろうか。
胸が解放されたら、声が響くようになった。
喉に力を入れずに高い声を出すために、今までは、喉を下げることで対応しようとしてうまくいかなかった。
しかし、喉を下げるのではなく、胸を上げるような意識をすると、結果的に喉が下がり(というか喉が上がらないようになり)、喉を意識しないまま、高い声を出せることに気付いた。首筋が立たなくなった。
楽器の状態が良くないと、いくら演奏法を練習しても埒が開かないことを体感している。
思うに「胸が開いていること(楽器の状態)」は、「喉を下げる(テクニック)」の前提条件なのだ。
楽器(身体)の状態は、良いにしろ悪いにしろ当人が自覚していないことが多いので、状態の違うもの同士では、話が伝わらない。
文字にすれば同じ「声を出す」という行為でも、内部で行われている動作は、各々全く別なのだ。
できない人の切実な「なんでできるの?」という問いも、できる人にとっては「なんでできないの?」でしかない。
ここに発声法を学ぶ、または人に伝える難しさがある。結局答えはその人の体の中にしかないので、その人が見つけるしかない。
世に溢れる発声法をトライアンドエラーで片っ端から試すのも手だが、ヨーガは、自分の中にある答えを、ダイレクトに掘り当てる優れた方法だと感じる。
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