御茶ノ水に80年前のヴィンテージギターを買いに行った。24万円。
24回払い(金利無料)を申し込んだが、必要事項記入中にやっぱり値段に怖くなって、買うのやめた。自分のチキンっぷりが笑えた。
ギターなんてなんでもいいと思っていたので、頑丈で弾きやすい、新品のギターを買おうと思っていたのだが、ヴィンテージギターは音色が別物だった。「ヴィンテージならではの乾いた鳴り」という表現はよく聞くが、実感した。
「ギターなんてなんでもいい」という感覚は、ブルースに影響を受けている。
高校生の頃、来日したマジックスリムのライブを観た。
Magic Slim And The Tear Drops – I’m A Blues Man Live
ジャズマスターを使う珍しいブルースマンなんだけど、ギターソロの途中で弦が切れた際、リズムギターの人とギター交換してソロを再開したら、1音目から、さっきまでと全く変わらない「this isマジックスリム」としか言いようのない音が出てきて笑ってしまった。ギターは「何を弾くか」ではなく「誰が弾くか」なんだなー、とギターキッズ(死語?)鳩山少年の胸に深く刻まれたエピソードだ。
そういえばマジックサムの大名盤のライブ盤も、借りたギターで演奏していた、という噂を聞いたことがある。
こーゆー音楽に親しんでいるうちに、いつのまに「ギターにこだわらないのがカッコいい」という価値観を持つに至ったのだと思う。
しかし最近は、選べるなら、気に入った音色の楽器選びたいよね、と思うようになった。こだわりを避けてきたが、こだわらないことにこだわるのもやはりこだわりだ。てかブルースマンたちも、そもそも、そこにはこだわっていなかったと思う。もっと自由にやりたい。
ギターは買えなかったが、国産大粒納豆は、半額にもなってないのに、当たり前のように買えるようになった。大粒は美味しい。
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