自己評価の高い人が夢を持てる説

どんないいことも、必要性に迫られないと絶対やらない。

「良い人間になるぞ!」という最初の決意とは裏腹に、三日坊主の挫折感と罪悪感しか残さなかった、健康法や自己改善習慣の数々。

数少ない続いた習慣を顧みると、己を高める、というより、これやってなかったら死んでたかも、としか思えないようなことばかりだ。

そんな、夏休み最終日まで絶対宿題をしない子供のような我が来し方を自覚した時、どん底から這い上がるためではなく、現状悪くもないのに、さらなるプラスを目指して積極的に行動するためのモチベーションのことを、世間では「夢」と呼ぶんだろな、と思うようになった。夢追い人とはきっと、病気でもないのに断食できるようなやつのことを指すのだと思う。

そこまでわかっても、じゃあ実際どうやったら夢が持てるかが謎だったんだけど、どうも鍵は自己評価を高めることにある、というのがわかってきた。

自己評価を高めると、本当に自分がやりたいことを、やらねば!とか思う以前にやるようになる。それが単純に楽しくて、それに忙しくなって、やめたくてもやめられなかった習慣も、気づけば、やめようと思ってもないのに止まっている。

ギター弾くのが楽しくて時間がもったいなくなった結果、多分病気になるまで止められないんだろうな、と諦めかけていた「食べ過ぎ」を、気づけば、わけなく止めている自分がいる。俺にとっては奇跡だ。

そして自分がしたいと思ったことを思った通りできている自分の自己評価がさらに高まる、という正のスパイラルに気づいたと同時に、過去陥った負のスパイラルのからくりにも気づいた。健康法にしろ生活改善にしろ、やろうとした動機がそもそも、自己評価の低さからきていた、ということに思い至った。

自分は不健康だと思ってるから健康法をやろうと思うし、よくない人間だと思っているから、自己改善をしようとする。

そんな動機で新しい習慣をはじめても、そもそも自己評価低い癖がついてるから、できたことより、できなかったの方に目がいく。そのことでさらに自己評価を低め、3日でやめる。そして自己評価の低さにさらなる磨きをかけるに至る。まさに負のスパイラル。

同じことやっても、考え方一つで、登る人はどこまでも登るし、落ちる人はどこまでも落ちていく形だ。

考え方一つ。例えば同じ三日坊主でも、自己評価の高い人は、「3日も続いた!偉い!」って思うんだと思う笑

そして俺も、これからはそっちで行くことにした。そう決めてみると、今まで、自分の脳みそを、一所懸命、自分を都合悪くするために使っていた理由が、全くわからない。

自分の脳みそを自分のために使って何が悪いのか?試しにこれからは、自分の脳みそは、徹底的に、自分のために使うことにした。

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