毎食、今俺は本当にこれが食べたいのかと自問自答する。まだその都度明確な答えが出せるわけじゃないのだが、それでもなんとなく考えていた献立は、グラグラ揺り動かされる。
意識的になってはじめて気付くことは多い。例えば以前は毎日のように食べていた納豆、1ヶ月ご無沙汰してもなんとも思わない自分に気付いた。もちろん嫌いじゃないし、好きなんだけど、その好きな気持ち以上に「納豆は健康に良い」という情報を優先していたと事に思い至った。一ヶ月の納豆不在による身体への影響は今のところ実感できないが、こだわりを手放した分だけ楽になれたのは確かに実感している。
そしてたまにしか食べないだけに、食べたいと思った時は、今まで売り場に行っても意識に入ってこなかった、国産大粒の、美味しそうなやつを選ぶようになった。選ぶだけでワクワクするような納豆を、「今日は納豆!!」という気分の時に食べるのだから、美味しくないわけがない。考えたらデメリットも何もない。食べる回数は減ったのに、納豆との絆はむしろ深まったように感じる。長年の友達だった納豆と、ここにきて新しい関係を結べたことが嬉しい。
先入観をなるたけ排して、これもいらない、あれも余計だと追求していくと、かなり質素な料理でも満足感を得ている自分に気付く。
例えば最近ハマってるのはワカメご飯だ。炊きたてのご飯に戻したわかめを混ぜ込み、塩をかけて食べる。箸が永久に止まらなくなる位うまい。もっとシンプルにわかめ抜き、塩ごはんでもかなり満足できることに気づいた。そしてそれに気付いてみて、給食のわかめご飯が好きだったことや、園児の頃ファミレスで、誰に言われるともなくご飯に塩をかけて食べていた事などを、何十年かぶりに思い出した。この探求は、忘れていた感覚を思い出すための営みでもあるようだ。
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